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2004/03/28

ぬるいなー「砂の器」最終楽章

うーん、美容院からダッシュで帰ってテレビの前に座ったんだけど、どうにもぬるくてゆるい最終回にちょっとがっかり。

砂の器〈上〉
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まず、ラストが全然イカンですだ。原作では和賀はアメリカに行こうとするんだけど、いつまでたっても搭乗しないっていう終わり方。この余韻こそ生かしてほしかった。だから、映画と同様に演奏会を終えたところで終わるべきだったと思う。

以下若干ネタバレ。。。。

松雪泰子のあさみはなんだったんすかー。もう1人の宿命を背負った女、というのはわかったけど、和賀との関係も中途半端にしか見えなかった。特にあさみの好意に和賀が応えているようにも見えず、なぜそこまで和賀にのめりこめるのかというところも感情移入できず。

さらに、今西さんのお節介ぶりが甘ったるくてちょっとツライ。自分の父親との関係を持ち出してなんとなく対比しているあたり、ぬるい。親子を対面させるという行為も、少し偽善のにおいを感じてしまう。父親の千代吉は、息子の秀夫に厳しい宿命を与えてしまったことで、どんなに会いたくても会えないと考える。原作を読んで、映画を見て、あくまでも和賀を知らないと主張するところがソレに当たるわけで。。。

最後にやっぱり和賀。壮絶な子ども時代を経て、それが三木元巡査(赤井英和)に会ったところで限界だったっつーことなんでしょうか。わかりません。あと、中居正広が演じていることに感じていた違和感を最後まで払拭することができなかった。「とうちゃーん!」と絶叫されても、なんか引いちゃう。だれだったらいいのかと聞かれると困っちゃうけど、和賀英良というか本浦秀夫が背負ってきた「宿命」があまりにも重かったのに比べて、中居の存在が軽すぎるということに尽きる。

文句たるたる書きつのったけど、なんで三木さんがどうしても和賀に会いたかったのかはストンと落ちたし(最終回がなかったらただの押し付けがましいおっさんで終わっていたカモ..)、なぜ自分の子どものようにかわいがってもらっていた秀夫が出奔したのか、陰湿ないじめという形で明示してくれた部分は、よかった。子役のヒデオの熱演に引っ張られた感じでしょうか。でも昭和54年にSLって走ってないよねえ、いくら島根の奥地でも。

それにしても山田洋次と橋本忍にクレジットがついてた「潤色」って、聞きなれないことばだよね。

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